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「マスター、これ何?」
 僕はカウンターの隅に置かれた一冊のノートを指して言った。何故かバイク乗りが集まってしまった喫茶店『止まり木』のカウンターでコーヒーを飲んでいた。
「連絡帳ですよ。今どき珍しいでしょ」
「連絡帳?」
「ここのお客さん同士のコミュニケーションツールになればなあって思いましてね」
「好きなこと書いていいんだ?」
「どうぞ、ご自由に。誰が見るかわかりませんけどね」
 ぺらぺらとめくってみる。おとといの木曜日の日付で女性が書き記したと思われる文章が目に入った。
《アキです。今から伊豆高原へ走りに行ってきます。伊豆スカイライン初体験、がんばるぞ。愛車のヤマハ「ルネッサ」(オレンジ色)も絶好調!》
「ふ~ん」
 僕はこの文章に対するコメントを書き記した。
《ツトムです。アキさん、伊豆高原どうでした? 僕が初めて伊豆スカイラインを走ったときは気持ちよくって感動でした。平日だし、道が空いているから最高だったでしょうね。》

一週間後
 僕は喫茶「止まり木」の扉を開けた。カランと音が響いた。
「いらっしゃい」
「こんちは」
「珍しいじゃない。今週もですか」
「ちょっとね」
「連絡帳でしょ」
「違いますよ!」
「ふふふ」
 マスターが横目で僕を見ながら、コーヒーを淹れる準備を始めた。僕は、開き直って連絡帳を手に取った。
《アキです。ツトムさんの言うとおり、最高でした。ツーリングのための道路って感じ。今度は西伊豆スカイラインに挑戦しようかな。ところで、ツトムさんの愛車は?》
「顔がにやけてるよ」
 マスターがコーヒーをカウンターに置きながら、僕に言った。
「ほっといてください」
 僕は連絡帳に返事を書き記した。
《ツトムです。僕の愛車はアキさんがご存知か知りませんが、スズキのテンプターというバイクです。400CCの単気筒です。人気がなくて短命に終わった絶版車です。その点はアキさんのルネッサも同じですよね。》

一週間後
「こんちは~」
 僕は今週も『止まり木』の扉をカランと開けた。マスターが何も言わず、笑みを浮かべてこちらを見ている。
「そうですよ。連絡帳ですよ!」
 僕は言われる前にこちらから言った。
「ふふふ。連絡帳、店の売り上げに貢献しちゃってますね」
 マスターはうれしそうに言いながらコーヒーを淹れる準備を始めた。
《アキです。テンプターですか。知りません(笑)。一度見てみたいです。ツトムさんのバイクも私のも珍しいから見かけたらわかりますね。オレンジのルネッサを見かけたら声を掛けてください。》
 僕は返事を書いた。
《ツトムです。そうですね。珍しいですよね。『止まり木』でばったり会えたら面白いですね。》

 『止まり木』で小一時間ほどつぶした後、バイクでそのままスーパーへ向かった。妹にメロンパンを頼まれていたのだ。スーパーに併設されているそのパン屋のメロンパンがおいしいと評判らしいのだ。
 スーパーに入ると、僕はパン屋へ直行した。メロンパンが一個だけ残っていた。人気商品なのだろう。僕がトングとトレイを手に取っている間に、なんと一人の女性がそのメロンパンを取ってしまった。しまった…。妹に何を言われるかわからない。僕はパン屋の店員に聞いた。
「メロンパン、もうないですか?」
「そうですね~。売り切れちゃいましたね。申し訳ございません」
「そうですか…」
 がっかりして、パン屋を離れようとしたら、
「もし良かったら…」
と、先ほどの女性に声を掛けられた。
「このメロンパン、どうぞ」
 二十代後半くらいだろうか。控えめなメイクと、シルエットの良いジーンズにトレーナーというシンプルだがこだわりの見られる服装から、品のあるきれいなお姉さんという印象を受けた。
「え、いいんですか?」
「私、いつも食べているから。どうぞ」
 そう言ってメロンパンを譲ってくれた。僕はお礼を言って、メロンパンを買うとそのまま店を出た。
 駐輪場へ戻ると、僕のテンプターの隣に、オレンジ色のバイクが停まっている。ヤマハのルネッサだった。
 アキさんのバイクじゃないか?
僕は、なんだかどきどきしてきた。すると、先ほどのきれいなお姉さんがこちらに近づいてくる。こちらを見て軽く会釈をすると、ルネッサの脇に立ち、ヘルメットを被ろうとしている。
「アキさんですか?」
 僕はためらうこともなく、大き目の声を出して言った。
「そうです…けど」
 彼女は少し驚いてこちらを見た。
「僕、ツトムです」
「え…」
「止まり木の」
「ああ! 連絡帳の」
「初めまして」
「こちらこそ」
「こんなところでお会いできるなんて…」
「そうですね」
「今からツーリングですか?」
「まさか。今、仕事中なの」
「そうなんですか」
「ちょっと小腹が空いたからここへ」
「そうなんですか」
「ごめんね。仕事中だから、もう行くね」
「ああ、そうですね。すいません」
「じゃあね」
「また、お会いできますか?」
 僕は、勇気を出して聞いてみた。
「止まり木で会えるかもね」
 なんだ? 軽くはぐらかされた感じだ。僕はひるまず思い切って聞いた。
「連絡先、教えてくれませんか」
「連絡は、あの連絡帳で取れるよね」
 彼女はフフっと軽く笑って、バイクに跨った。そして、そのまま走り去っていった。
 軽くかわされた。完全に子供扱いされた。
 僕は、バイクで帰路についていた。走りながら、考えていた。
 連絡する手段はある。彼女の興味を引くような、彼女を振り向かせるような、最高の言葉をあの連絡帳に書いてやろう。
 僕は確信していた。彼女をデートに誘い出す最高の言葉はこれしかない。
「一緒にツーリングに行きませんか。西伊豆スカイラインなんかどうですか」
 

 

http://www.geocities.jp/mjy_t/

喫茶「止まり木」の連絡帳

「マスター、これ何?」
 僕はカウンターの隅に置かれた一冊のノートを指して言った。何故かバイク乗りが集まってしまった喫茶店『止まり木』のカウンターでコーヒーを飲んでいた。
「連絡帳ですよ。今どき珍しいでしょ」
「連絡帳?」
「ここのお客さん同士のコミュニケーションツールになればなあって思いましてね」
「好きなこと書いていいんだ?」
「どうぞ、ご自由に。誰が見るかわかりませんけどね」
 ぺらぺらとめくってみる。おとといの木曜日の日付で女性が書き記したと思われる文章が目に入った。
《アキです。今から伊豆高原へ走りに行ってきます。伊豆スカイライン初体験、がんばるぞ。愛車のヤマハ「ルネッサ」(オレンジ色)も絶好調!》
「ふ~ん」
 僕はこの文章に対するコメントを書き記した。
《ツトムです。アキさん、伊豆高原どうでした? 僕が初めて伊豆スカイラインを走ったときは気持ちよくって感動でした。平日だし、道が空いているから最高だったでしょうね。》

一週間後
 僕は喫茶「止まり木」の扉を開けた。カランと音が響いた。
「いらっしゃい」
「こんちは」
「珍しいじゃない。今週もですか」
「ちょっとね」
「連絡帳でしょ」
「違いますよ!」
「ふふふ」
 マスターが横目で僕を見ながら、コーヒーを淹れる準備を始めた。僕は、開き直って連絡帳を手に取った。
《アキです。ツトムさんの言うとおり、最高でした。ツーリングのための道路って感じ。今度は西伊豆スカイラインに挑戦しようかな。ところで、ツトムさんの愛車は?》
「顔がにやけてるよ」
 マスターがコーヒーをカウンターに置きながら、僕に言った。
「ほっといてください」
 僕は連絡帳に返事を書き記した。
《ツトムです。僕の愛車はアキさんがご存知か知りませんが、スズキのテンプターというバイクです。400CCの単気筒です。人気がなくて短命に終わった絶版車です。その点はアキさんのルネッサも同じですよね。》

一週間後
「こんちは~」
 僕は今週も『止まり木』の扉をカランと開けた。マスターが何も言わず、笑みを浮かべてこちらを見ている。
「そうですよ。連絡帳ですよ!」
 僕は言われる前にこちらから言った。
「ふふふ。連絡帳、店の売り上げに貢献しちゃってますね」
 マスターはうれしそうに言いながらコーヒーを淹れる準備を始めた。
《アキです。テンプターですか。知りません(笑)。一度見てみたいです。ツトムさんのバイクも私のも珍しいから見かけたらわかりますね。オレンジのルネッサを見かけたら声を掛けてください。》
 僕は返事を書いた。
《ツトムです。そうですね。珍しいですよね。『止まり木』でばったり会えたら面白いですね。》

 『止まり木』で小一時間ほどつぶした後、バイクでそのままスーパーへ向かった。妹にメロンパンを頼まれていたのだ。スーパーに併設されているそのパン屋のメロンパンがおいしいと評判らしいのだ。
 スーパーに入ると、僕はパン屋へ直行した。メロンパンが一個だけ残っていた。人気商品なのだろう。僕がトングとトレイを手に取っている間に、なんと一人の女性がそのメロンパンを取ってしまった。しまった…。妹に何を言われるかわからない。僕はパン屋の店員に聞いた。
「メロンパン、もうないですか?」
「そうですね~。売り切れちゃいましたね。申し訳ございません」
「そうですか…」
 がっかりして、パン屋を離れようとしたら、
「もし良かったら…」
と、先ほどの女性に声を掛けられた。
「このメロンパン、どうぞ」
 二十代後半くらいだろうか。控えめなメイクと、シルエットの良いジーンズにトレーナーというシンプルだがこだわりの見られる服装から、品のあるきれいなお姉さんという印象を受けた。
「え、いいんですか?」
「私、いつも食べているから。どうぞ」
 そう言ってメロンパンを譲ってくれた。僕はお礼を言って、メロンパンを買うとそのまま店を出た。
 駐輪場へ戻ると、僕のテンプターの隣に、オレンジ色のバイクが停まっている。ヤマハのルネッサだった。
 アキさんのバイクじゃないか?
僕は、なんだかどきどきしてきた。すると、先ほどのきれいなお姉さんがこちらに近づいてくる。こちらを見て軽く会釈をすると、ルネッサの脇に立ち、ヘルメットを被ろうとしている。
「アキさんですか?」
 僕はためらうこともなく、大き目の声を出して言った。
「そうです…けど」
 彼女は少し驚いてこちらを見た。
「僕、ツトムです」
「え…」
「止まり木の」
「ああ! 連絡帳の」
「初めまして」
「こちらこそ」
「こんなところでお会いできるなんて…」
「そうですね」
「今からツーリングですか?」
「まさか。今、仕事中なの」
「そうなんですか」
「ちょっと小腹が空いたからここへ」
「そうなんですか」
「ごめんね。仕事中だから、もう行くね」
「ああ、そうですね。すいません」
「じゃあね」
「また、お会いできますか?」
 僕は、勇気を出して聞いてみた。
「止まり木で会えるかもね」
 なんだ? 軽くはぐらかされた感じだ。僕はひるまず思い切って聞いた。
「連絡先、教えてくれませんか」
「連絡は、あの連絡帳で取れるよね」
 彼女はフフっと軽く笑って、バイクに跨った。そして、そのまま走り去っていった。
 軽くかわされた。完全に子供扱いされた。
 僕は、バイクで帰路についていた。走りながら、考えていた。
 連絡する手段はある。彼女の興味を引くような、彼女を振り向かせるような、最高の言葉をあの連絡帳に書いてやろう。
 僕は確信していた。彼女をデートに誘い出す最高の言葉はこれしかない。
「一緒にツーリングに行きませんか。西伊豆スカイラインなんかどうですか」
 

 

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ブルー・マンデー

 上り坂のトンネルを抜けるとすぐ右コーナー。得意のカーブを大胆に攻める。そしてすぐ左。
 静岡市側から焼津へ向かう大崩海岸を疾走する。ここを走るのは早朝がいい。夜は真っ暗で先が見えず思いきり走れないし、昼間は車が頻繁に通るからだ。
 上りきり、下りにさしかかったところで、俺はタイムを見た。ベストタイムを更新できそうだ。
 左の木々の隙間に、朝日に照らされた海が視界に入る。
 ゆるいS字を抜けて、大崩海岸最大の直角コーナーに突入しようとしたとき、カーブの向こうから、反対車線をとてつもないスピードで激走する何かが過ぎ去って行った。反射的にスピードを落とし振り返ったが、もう姿はなく音だけが残っていた。音はおそらくオートバイのマフラーからだろう。俺と同じ、2ストの音だった。

「ブルー・マンデーだったんだな」
 俺と同じ走り屋仲間の連れが言った。
「何だそれ、コーヒーか?」
「それはブルーマウンテンだろうが。ブルー・マンデーだよ」
 俺は意味がわからない。
「知らないのか、月曜の早朝の大崩はそのお前の言ってた”ヤツ”が出没するんだよ。そいつと張り合うとバイクのテクニックとか腕の、なんていうか、才能の違いってのを思い知らされるんだ。そんでブルーになるってこと。仲間内では有名な話だぞ。みんな月曜日は走らないんだ」
 そういえば、今まで月曜日は走ったことがなかった。俺は仲間内では速いほうで、腕には自信がある。
 ”ヤツ”と張り合ってやろうと思った。

 次のブルー・マンデーの日。”ヤツ”は焼津側から走ってきたから、俺はその入り口付近のホテルの駐車場で張った。もちろん時間も考慮している。
 そろそろだ。
 そう思ったとき、後ろから2スト特有のかん高い音が聞こえてきた。俺が準備する間もなく、”ヤツ”は物凄いスピードであっと言う間に過ぎ去った。俺はあとを追った。
 あの直角コーナーをあのスピードで曲がって行ったほどだ。コーナーでは太刀打ち出来ないだろう。俺は直線にかけた。しばらくは良かった。少しづつではあるが差を縮めていた。しかし、ゆるいコーナーでさえ差が広がってしまう。”ヤツ”の走るラインを真似ようとしても同じスピードで曲がれない。
 何個目かのコーナーを抜けると、もう”ヤツ”の姿は消えていた。

「”ヤツ”は何者なんだ?」
 この俺の問いに答えられる奴はいなかった。
「どのチームにもショップにも、どこにも属していないんだ。誰も顔すら知らねえよ。孤独な一匹狼なんじゃねーの」
 謎が神秘性を生む。おもしれえ。俺が正体を暴いてやる。

 俺は次の月曜日、早めに家を出て、焼津側の大崩海岸の入口よりももっと手前のコンビニで待ち伏せしようとした。この前を通るか、通らないかは一か八かだが、もし通れば、しばらく直線が続くから俺には有利だ。
 コンビニの駐車場にオートバイで近づいたとき、俺はハッとした。NSRが停まっていたからだ。
 ”ヤツ”がいる。
 俺は緊張して店内に入った。見回す。いるのは土方っぽいおじさん二人組、おばさんと子供、レジでお金を払っている女の子しかいない。おかしい。俺はどこかにいるんじゃないかと店内を見回した。
 すると、おもてからエンジンをかける音と同時に、乾式クラッチのカラカラする音が聞こえてきた。
 外にいたのか!
 俺は慌てて外に出て、オートバイに跨った。
 ”ヤツ”は大崩に向かっている。俺は限界までスピードを上げた。差は縮まってきた。最初のコーナーに入る前に何とかしなければならない。
 あと10メートル。
 身体を小さくし、空気抵抗を無くし、フルスロットル。
 あと3メートル。
 くらいつく。コーナーも迫ってくる。
 並んだ。
 俺のオートバイは最後の力を振り絞って前に出た。追い越されないように、蛇行しながらスピードを落とし、最終的に道を塞いで停まった。”ヤツ”も素直に停車した。俺はヘルメットを脱いだ。
「話したいことがあるんだ」
 ”ヤツ”に聞こえただろうか。微動だにせずスモークのかかったフルフェイスをこちらに向けている。
「メットを脱げよ」
 少しためらったようだが、”ヤツ”はヘルメットを脱ぐことにしたようだ。軽い緊張が俺の中を走った。
 愕然とした。驚きを隠せない。しばらく動けなかった。
 女だ。
 ショートカットだが、伸ばせば清楚なお嬢さんになりそうな華奢な女の子だった。俺は動揺し、自分から言ったのにもかかわらず、話すことを忘れてしまった。
「あなたが初めてよ。私が走るのにこんなにしつこく付き合ってくれたの」
「あ、ああ。みんなあんたと走ると自信なくすみたくて」
「いつも一人。私と一緒に走ってくれる人はいなかった」
「これからは俺が付き合うよ」
 冗談半分に言ってみた。
「私をつかまえられるの?」
「えっ」
「私、常に走り続けていないとだめな人なの。私のまわりは物凄いスピードで過ぎ去るから、それに合わせないといけないような気がして。本当、気持ちは止まりたいんだけど、身体は焦ってスピード出そうとする」
 よくわからないが、俺は理解しようと努力した。彼女は続けた。
「誰かに捕まえてもらいたい」
「捕まえてもらったら死んじゃったりして。走り続けないと生きていけないとか」
「それでもいい。楽になりたいよ」
 何者か暴くどころか、ますます何者かわからなくなってきた。彼女はヘルメットをかぶった。エンジンをかけ、走り出そうとしている。
「おい、待てよ」
 せめて名前だけでも聞きたかった。彼女は、乾式の音とエンジン音の中、確かに言った。
 つかまえて
 ちきしょう。俺はオートバイに跨った。彼女は走り出していた。俺もあとに続く。コーナーの連続。俺は離されていくばかり。
 彼女の異常なスピードで疾走する姿を後ろから見ていた。何かに追いつこうとしているような、何かから逃げているようでもある走りを見ていると、その必死さが痛かった。何故そこまでするのか。俺は猛スピードで走りながら考える。彼女を理解するにはあのスピードをマスターする以外にないのか。
 何から逃げているのだろう。何に追いつこうとしているのだろう。

 トンネルを抜けると、彼女の姿もオートバイの音もなかった。
 だけど、海の向こうの東の空から顔を出した太陽がさわやかで、気持ちよかった。
 スピードをゆるめた。ゆっくりと、朝日を照らす海の上に架かる橋を渡る。のんびり走るのも楽しい。それを彼女にも教えてあげたい。

 俺は、このことを誰にも話していない。
 仲間にはこう言った。
「やっぱり、ブルー・マンデーだったよ」
 

 

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ブルー・マンデー

 上り坂のトンネルを抜けるとすぐ右コーナー。得意のカーブを大胆に攻める。そしてすぐ左。
 静岡市側から焼津へ向かう大崩海岸を疾走する。ここを走るのは早朝がいい。夜は真っ暗で先が見えず思いきり走れないし、昼間は車が頻繁に通るからだ。
 上りきり、下りにさしかかったところで、俺はタイムを見た。ベストタイムを更新できそうだ。
 左の木々の隙間に、朝日に照らされた海が視界に入る。
 ゆるいS字を抜けて、大崩海岸最大の直角コーナーに突入しようとしたとき、カーブの向こうから、反対車線をとてつもないスピードで激走する何かが過ぎ去って行った。反射的にスピードを落とし振り返ったが、もう姿はなく音だけが残っていた。音はおそらくオートバイのマフラーからだろう。俺と同じ、2ストの音だった。

「ブルー・マンデーだったんだな」
 俺と同じ走り屋仲間の連れが言った。
「何だそれ、コーヒーか?」
「それはブルーマウンテンだろうが。ブルー・マンデーだよ」
 俺は意味がわからない。
「知らないのか、月曜の早朝の大崩はそのお前の言ってた”ヤツ”が出没するんだよ。そいつと張り合うとバイクのテクニックとか腕の、なんていうか、才能の違いってのを思い知らされるんだ。そんでブルーになるってこと。仲間内では有名な話だぞ。みんな月曜日は走らないんだ」
 そういえば、今まで月曜日は走ったことがなかった。俺は仲間内では速いほうで、腕には自信がある。
 ”ヤツ”と張り合ってやろうと思った。

 次のブルー・マンデーの日。”ヤツ”は焼津側から走ってきたから、俺はその入り口付近のホテルの駐車場で張った。もちろん時間も考慮している。
 そろそろだ。
 そう思ったとき、後ろから2スト特有のかん高い音が聞こえてきた。俺が準備する間もなく、”ヤツ”は物凄いスピードであっと言う間に過ぎ去った。俺はあとを追った。
 あの直角コーナーをあのスピードで曲がって行ったほどだ。コーナーでは太刀打ち出来ないだろう。俺は直線にかけた。しばらくは良かった。少しづつではあるが差を縮めていた。しかし、ゆるいコーナーでさえ差が広がってしまう。”ヤツ”の走るラインを真似ようとしても同じスピードで曲がれない。
 何個目かのコーナーを抜けると、もう”ヤツ”の姿は消えていた。

「”ヤツ”は何者なんだ?」
 この俺の問いに答えられる奴はいなかった。
「どのチームにもショップにも、どこにも属していないんだ。誰も顔すら知らねえよ。孤独な一匹狼なんじゃねーの」
 謎が神秘性を生む。おもしれえ。俺が正体を暴いてやる。

 俺は次の月曜日、早めに家を出て、焼津側の大崩海岸の入口よりももっと手前のコンビニで待ち伏せしようとした。この前を通るか、通らないかは一か八かだが、もし通れば、しばらく直線が続くから俺には有利だ。
 コンビニの駐車場にオートバイで近づいたとき、俺はハッとした。NSRが停まっていたからだ。
 ”ヤツ”がいる。
 俺は緊張して店内に入った。見回す。いるのは土方っぽいおじさん二人組、おばさんと子供、レジでお金を払っている女の子しかいない。おかしい。俺はどこかにいるんじゃないかと店内を見回した。
 すると、おもてからエンジンをかける音と同時に、乾式クラッチのカラカラする音が聞こえてきた。
 外にいたのか!
 俺は慌てて外に出て、オートバイに跨った。
 ”ヤツ”は大崩に向かっている。俺は限界までスピードを上げた。差は縮まってきた。最初のコーナーに入る前に何とかしなければならない。
 あと10メートル。
 身体を小さくし、空気抵抗を無くし、フルスロットル。
 あと3メートル。
 くらいつく。コーナーも迫ってくる。
 並んだ。
 俺のオートバイは最後の力を振り絞って前に出た。追い越されないように、蛇行しながらスピードを落とし、最終的に道を塞いで停まった。”ヤツ”も素直に停車した。俺はヘルメットを脱いだ。
「話したいことがあるんだ」
 ”ヤツ”に聞こえただろうか。微動だにせずスモークのかかったフルフェイスをこちらに向けている。
「メットを脱げよ」
 少しためらったようだが、”ヤツ”はヘルメットを脱ぐことにしたようだ。軽い緊張が俺の中を走った。
 愕然とした。驚きを隠せない。しばらく動けなかった。
 女だ。
 ショートカットだが、伸ばせば清楚なお嬢さんになりそうな華奢な女の子だった。俺は動揺し、自分から言ったのにもかかわらず、話すことを忘れてしまった。
「あなたが初めてよ。私が走るのにこんなにしつこく付き合ってくれたの」
「あ、ああ。みんなあんたと走ると自信なくすみたくて」
「いつも一人。私と一緒に走ってくれる人はいなかった」
「これからは俺が付き合うよ」
 冗談半分に言ってみた。
「私をつかまえられるの?」
「えっ」
「私、常に走り続けていないとだめな人なの。私のまわりは物凄いスピードで過ぎ去るから、それに合わせないといけないような気がして。本当、気持ちは止まりたいんだけど、身体は焦ってスピード出そうとする」
 よくわからないが、俺は理解しようと努力した。彼女は続けた。
「誰かに捕まえてもらいたい」
「捕まえてもらったら死んじゃったりして。走り続けないと生きていけないとか」
「それでもいい。楽になりたいよ」
 何者か暴くどころか、ますます何者かわからなくなってきた。彼女はヘルメットをかぶった。エンジンをかけ、走り出そうとしている。
「おい、待てよ」
 せめて名前だけでも聞きたかった。彼女は、乾式の音とエンジン音の中、確かに言った。
 つかまえて
 ちきしょう。俺はオートバイに跨った。彼女は走り出していた。俺もあとに続く。コーナーの連続。俺は離されていくばかり。
 彼女の異常なスピードで疾走する姿を後ろから見ていた。何かに追いつこうとしているような、何かから逃げているようでもある走りを見ていると、その必死さが痛かった。何故そこまでするのか。俺は猛スピードで走りながら考える。彼女を理解するにはあのスピードをマスターする以外にないのか。
 何から逃げているのだろう。何に追いつこうとしているのだろう。

 トンネルを抜けると、彼女の姿もオートバイの音もなかった。
 だけど、海の向こうの東の空から顔を出した太陽がさわやかで、気持ちよかった。
 スピードをゆるめた。ゆっくりと、朝日を照らす海の上に架かる橋を渡る。のんびり走るのも楽しい。それを彼女にも教えてあげたい。

 俺は、このことを誰にも話していない。
 仲間にはこう言った。
「やっぱり、ブルー・マンデーだったよ」
 

 

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