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ALL GENREORM編集部、太田哲也氏とともに被災地を訪ねる

2011.04.19

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震災直後に『東日本大震災支援チーム KEEP ON RACING』を結成したレーシングドライバーの太田哲也氏。そんな太田氏と震災から一ヶ月が経とうとしていた4月8~10日、被災地である宮城県仙台周辺、及び岩手県の大船渡市を訪ねた。

一路仙台へ

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横浜にある太田哲也氏のショップ、TEZZO BASEで出発準備。左下:準備万端の図。左から編集部鈴木、GAO。右下:TEZZO BASEで届けられた支援物資を整理したり、現地との連絡などで大活躍された隠岐さん

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左上:東京で給油時に、太田氏のファンだと言うスタンドの従業員さんたちが声をかけてくれた。右上:翌朝仙台市近くで給油。このあたりでは燃料不足は解消しているようだった。左下:伊藤真一氏経営のGARAGE EDIFICEで支援物資の電動スクーター2台をトラックから降ろす。右下:GPライダーの伊藤真一氏(手前)と太田哲也氏

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左上:GARAGE EDIFICEには他に長靴や自転車のチューブなどをご提供した。右上:取材などのため現地入りしていたモータージャーナリストの斉藤慎輔氏(右)と情報交換。左下:GARAGE EDIFICEに届けられた支援物資は伊藤氏とスタッフ、支援者によって、毎日のように被災地の避難所などに届けられている。右下:GARAGE EDIFICEでは、津波で流されてしまった車両の引き上げも行っていた。このメルセデスは石巻で被災したもの

 ORM最新号の連載スタートにあたり連絡を取り合う中で、太田哲也氏の『東日本大震災支援チーム KEEP ON RACING』にかける思い、そして太田氏やORM編集部の鈴木洋一、そして僕GAOに共通した「被災地に対して何か出来ることはないのか?」という気持ちが我々に被災地行きを決意させた。
 『東日本大震災支援チーム KEEP ON RACING』に届けられた長靴や歯ブラシ、太田氏によって用意された電動スクーターや自転車、そしてON THE ROAD MAGAZINEにゆかりのある皆さんからお預りした支援物資などを2トン・トラック、新型三菱キャンターに積み込んだ我々3人は、震災から1ヶ月が過ぎようとしていた4月8日夜、仙台に向かった。
 前夜に大きな余震があり、不安がなかったと言えば嘘になる。おまけに開通していた東北道も那須高原あたりから先はデコボコで、2トン車では制限速度に設定された50キロ前後が快適速度と言えるほどの路面状況だった。
 9日未明に仙台着、数時間の仮眠後、向かったのは宮城県出身のGPライダーにして、現在は仙台に輸入車を中心としたクルマのショップ『GARAGE EDIFICE』を経営、太田氏とも親交が深い伊藤真一氏のお宅。
 ご本人と『GARAGE EDIFICE』のスタッフやご家族には大きな被害がなかったものの、震災から数日は電気や水道の供給がなく、情報も不足していて、ショップからほど近い仙台空港にまで津波が来ているなどとは到底信じられなかったこと/日を追うごとにわかってくる深刻な被害に衝撃を受け、全国から伊藤氏宛に届けられた支援物資をスタッフや有志とともに石巻などの被災地に届けていること/最近菅生サーキットを訪ねコースの被災状況を確認してきたことなどを伺った。
 その後『GARAGE EDIFICE』に支援物資の中から電動スクーター、自転車、長靴、自転車用タイヤチューブやワイアーロックなどをお届けした。ここまで、傷んだ道路以外に被災地に来たことを実感するような光景は目にしていなかったので、駐車スペースに置かれた、津波被災地から引き上げてきたという複数の水没車両が、我々が初めて目にするリアルな震災被害だった。

三陸気仙地区、大船渡市を訪ねる

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仙台空港近くの津波被災地。左手が海側だが、海はまったく見えず、地図で見ると海岸は3キロ以上離れていた

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上段:大船渡湾を南側から望む。津波は湾の入り口である右から左方向に流れ、湾の奥側の被害が最も大きかったという。グレーのカーポートの直下まで津波がやってきたそう。その奥に見える屋根のひとつが浸水した浦嶋氏のご自宅だ。手前に見える人影はキャッチボールをする少年たち。下段:右が浦嶋氏と奥様、左が岩渕医師、中央が太田氏。浦嶋氏のお子さんたちの笑顔に心癒された

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大船渡市役所は高台にあって津波被害を免れた。右上:日本中の自治体から支援にやってきたたくさんのトラックやバン、給水車を見て目頭が熱くなった。左下:渕上議員(左)を介して市役所に支援物資をお届けした。右下:東海新報の取材を受ける太田氏(左)。右の地元出身の記者、佐藤氏は「この先もずっとこの街を見守って欲しい」と話してくれた

 その後、我々は仙台沿岸部の津波による筆舌に尽くしがたい被災地の状況を目の当たりにした。あの日から1ヶ月が過ぎようとしているこの日、これまで報道で見てきた状況からまったく復旧している様子のない光景に被害の大きさを思い知った。
 『GARAGE EDIFICE』でお話しした地元の皆さんのアドバイスにより、仙台東部道路から南部道路を経て東北道を北上、岩手県に入って3つ目の水沢ICを目指した。仙台南IC以降、東北道の路面状況は益々悪くなっているように思えた。昨夜は見えなかったが震災後に補修されたと思われる部分も多い。またそれ以外の破損箇所は7日夜の大きな余震によるものらしい。
 水沢ICから一般国道を使い3時間以上かけて辿り着いたのは三陸の被災地、大船渡。ここには太田氏が主宰するレーシングチームのメンバーがいるのだ。大船渡市街を抜ける国道の流れはノロノロ、中心部が酷く被災しているのがその原因だった。テレビや新聞、ネットで見る写真は被災地の一部分が切り取っているに過ぎず、実際に360度に広がる被災地の中に身を置くと、あまりに現実離れした光景に恐怖とか不安など消し飛んでしまった。しかし被災地を仲間とふざけながら歩く下校途中の中学生や、楽しげにキャッチボールに興じる小学生の姿に、これが現実の光景であることを思い知らされた。経営している水産会社が津波で流され、愛車が収まっていたガレージも全壊、現在一階が浸水したご自宅の2階で奥様と2人のお子さんと生活されているという浦嶋氏、現地の医師で避難所を回られている岩渕氏と合流、高台から被災地を見下ろしつつ震災当日のお話しを伺った。浦嶋氏によれば「堤防があるから大事にはならないと多くの人は思っていたと思うんです。それでも地震のあとすぐに従業員全員を帰宅させ、妻は子ども達を迎えに行き、自分は事務所を片付けてからビデオカメラを持って海の様子を見に行った。やがてやってきた津波の大きさに驚きつつもビデオをまわし、最終的に自分の家が浸水する一部始終を成す術無く撮り続けることになりました」とのこと。
 浦嶋氏には大船渡市議会議員の渕上清氏を介して大船渡市役所をご紹介頂き、支援物資の多くをここにお届けした。

 その後太田氏が大船渡に拠点のある東海新報社の取材を受けたが、その際お会いした地元出身の若手記者、佐藤氏のお話しが印象的だった。「この街は人口の流出が続き、過疎化の一途を辿っていました。この震災で街のほぼ全てがゼロに等しい状況になってしまった気がするんです。だからこれからは上がってゆくだけなのです。その過程を是非一人でも多くの人たちに見ていて欲しい、今はそんな気持ちです」

 この日のうちに大船渡を発ち真っ暗な陸前高田の街をかすめて東北道を経由、宮城県古川にお住まいの太田氏のご親戚宅に一泊させて頂いた。

※ON THE ROAD MAGAZINEに支援物資を託して下さった皆さま、そして2日目にお伺いした仙台周辺のORM配布ご協力店舗などのご紹介も、別途このORM-webにてさせて頂きます。

photo: Tetsuya Ota/Yoichi Suzuki/Gao Nishikawa
text: Gao Nishikawa

special thanks: 三菱ふそうトラック・バス株式会社

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