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MOTORCYCLERider's Story『約束の場所』

2010.10.07

静岡在住の小説家、武田宗徳がお届けする"Rider's Story"

『約束の場所』

写真

文:武田宗徳

  ゆっくりと、しかし力強くペダルをこいで坂道を登っていく。全身を右に左に動かして、山道を進む。額、こめかみ、耳の裏側までもから、顎に向かって汗が流れ、落ちる。疲れがきて無意識に頭が下がってくるが、直哉はそのたびに歯を食いしばって前を向きなおす。約束の場所まであと半分だった。
 いったん坂道が終わり、平らな地面の木陰で、直哉はマウンテンバイクを降り、ガードレールに立てかけた。首に巻いてあるタオルで顔の汗を拭くと、リュックからペットボトルの麦茶を取り出し、一口飲んだ。そして、また汗を拭く。

 まわりは静まり返っている。直哉は目をつむった。鳥の鳴き声、川の流れる音が、無限の空間を作り出した。

 半年前はこの場所で、足の痛みからこれ以上進むことを諦めた。今日の挑戦は最初から数えると、五回目だった。しかし、一度も約束の場所にたどり着けないでいる。最初の挑戦のときは小学生だった直哉は、今はもう中学生になっていた。あれから体力をつけ、自転車の乗り方も勉強した。今日は足も痛くないし、いけそうだ、と直哉は思った。

 マウンテンバイクに跨り、再び山道を登る。軽めのギヤで、足の負担にならないようにペダルをこぐ。思うようにスピードは出ないし、少しずつしか進まないが、しかし確実に約束の場所には近づいていた。

 後ろから何か音が近づいてきた。オートバイの排気音だ、と直哉は思った。黒いオートバイが排気音とともに直哉の横を通り過ぎていった。結構なスピードで坂道を登っていき、あっという間に姿を消した。
「オートバイは、嫌いだ」

直哉は、吐き捨てるようにつぶやいた。



 そのオートバイはそこから五キロほど行った所にある、渓谷に到着していた。そこは有名な渓谷ではない。知る人ぞ知る渓谷だった。ひっそりとした、雑草まみれの空き地にオートバイを停めると、男は獣道に沿って歩き出した。そこから渓谷に降りることが出来るのだ。

 渓谷に出た。大きな岩、小さな岩の間を縫うように、時折滝をつくりながら透明な水が流れていく。雄大な自然を感じる、というには大げさな渓谷だった。控えめな、しかし心洗われる水の流れだ。
「約束の場所……か」

男はゆっくりと渓谷を眺めながらつぶやいた。



 直弥は、渓谷の入口の雑草の生え放題の空き地に、ようやく到着した。体が熱い。汗まみれの顔をタオルで拭く。タオルはすでに絞れるほどになっている。

 三年がかりでようやく到着できた。この達成感は何よりも直哉を興奮させた。言葉にならない大きな声で、直哉は叫んだ。

 この場所は直哉が小学生の頃、直哉の父親がよく連れてきてくれた。車で来たこともあれば、オートバイで後ろに乗せてもらってきたこともある。父親はこの場所が好きだった。直哉はいまだにその理由がわからない。直哉は無意識に、ここは車かオートバイで来るところだと思っていた。ところが、父親は直哉にこう言った。

「直哉が一人でここに来れるようになるのは、いつだろうね」

父親はなんとなしに言った言葉だろうが、車かオートバイで来るところだと思っていた直哉は、すぐには無理だと思った。父親がオートバイ事故で死んでから、直哉は一人で渓谷へ行くことを決意した。父親との思い出の場所、そして、しっかりした約束は交わしていないが、直哉はその渓谷を、約束の場所、とした。



 男は、後ろの方から何か叫び声を聞いて振り返った。そして、微笑んだ。さっきの自転車小僧、ここに向かって来ていたのか、と思った。

 しばらくすると、獣道から人の気配がして、少年が姿を現した。やはり先ほどの自転車小僧だ。
「よう、がんばったな」
男は声をかけた。

「名前は?」
だが、少年は黙ったまま渓谷を眺めている。
「どこから来た?」
「……町から」
「ほう、そいつはたいしたもんだ」
少年はまだ肩で息をしている。時折、タオルで顔を拭いている。
「この場所はなあ、友達との約束の場所なんだ」
男は、話し始めた。少年は、約束の場所、という言葉に反応した。
「ここで、大きな鹿を見たことがあると、友達は言っていた。それは、貧弱な鹿じゃない。堂々として品がある、立派な鹿だった。友達はすぐにカメラを構えた。しかしな、その立派な鹿は身動きせず、じっとカメラ越しに友達を見ていた。じっと、身動きせず、だ。友達は写真を撮ることをやめ、腰を下ろした。圧倒されたんだと。その鹿の威厳のある姿に。そして、それに比べて小さい自分が情けなくなったんだ。
 友達は鹿を俺に見せたかった。俺は、仕事が忙しいや、何やらでなかなか来れない。そうこうしているうちに、友達がオートバイ事故で死んでしまって。俺は、なるべく時間をつくってここに来るようになった。そして、いつか鹿を見るんだ。それが、あいつとの約束だ」
 直哉は黙って男の話を聞いていた。聞きたかったわけではなかったが、耳に入ってきて、いつの間にか聞き入っていた。男にとっても、ここは約束の場所だった。そういえば自分の父親が鹿のことを言っていたような気がした。父親も、直哉に鹿を見せたかったのだろうか。父親がこの場所を好きだったのは、このことが理由だったのかもしれない。
「僕のお父さんも、オートバイで死んじゃった」

男の表情が、ハッとした。

「そうか。悪いことを思い出させちゃったな」
「おじさんはオートバイが嫌いにならないの? 僕は嫌い」
「……仲間の中でも、オートバイに乗らなくなった奴はいたよ。でも、俺は乗り続ける。まあ、バイク馬鹿なんだよな。でもさ、その友達が天国で、仲間がオートバイに乗らなくなるのを見るのは、なんかつらいんじゃないかなあって思って。俺は、あいつにこう言ってやるんだ。おまえなんかに俺の大好きなこと取られてたまるか、ってね」

直哉は思った。もし、自分がオートバイに乗るようになったら、天国の父親は喜ぶのではないかと。
  ガサッと音がした。向こう岸の雑草が動いた。二人は反射的にそちらを向いた。しばらく、沈黙が続いた。そして、男はくすくす笑い出した。

「ははは、カエルかな。鹿かと思った」
「ははは、僕も」
涼しい風が、渓谷の上流から吹いてきた。直哉は目を細めて、風を浴びた。

「おーい!」

突然、男は森に向かって大きな声を出した。

「もう帰るぜ。また来るよ! あばよ、直紀!」

直哉は、はっきりと確信した。男は獣道に入っていった。

「おじさんは……」

言いかけた言葉を、直哉は飲み込んだ。
「おじさん、また会える?」
「おう、またここで会おうな」

 直哉が渓谷の方へ振り返ると、それはいた。

 大きな鹿がそこにいた。


   おわり

武田宗徳(たけだ・むねのり)

 
1974年静岡県生まれ。96年よりモーターサイクル(カワサキ・エストレア)に乗りはじめる。2000年頃よりバイク小説を書きはじめ、02年からは自らの小説による手作りのフリーペーパー、『Rider's Story』の編集・発行、静岡県を中心に配布している。GOGGLEやOutRiderなど雑誌への掲載実績も複数、ON THE ROAD MAGAZINE本誌では06年より小説『Rider's Story』を連載。08年、静岡学術出版より新書『バイク小説短編集"Rider's Story"~僕は、オートバイを選んだ~』を出版。09年、13年以上乗り続けた愛車エストレアが不動となり、09年モデルの同じエストレアを新しい相棒とする。プライベートは夫であり二人の男の子の父。現在静岡県藤枝市を拠点に活動中。


ホームページ:http://www.geocities.jp/mjy_t


ブログ『Rider's Life』:http://www.orm-web.co.jp/blog/riders_life

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